ピュアシナジーとは
ミッチェル・メイについて(ピュアシナジーの誕生)
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Mitchell Moses May ミッチェル・メイ
<プロフィール>
1950年 アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。
心理学博士。自然療法医プログラムを修了。植物学や植物療法にも造詣が深い。シナジーカンパニーの創立者であり、現会長。事業家としてだけでなく、有機栽培(オーガニック)の啓蒙、風力発電の推進、アマゾン川流域の森林保護、あるいはフェアトレードなどを通じた「持続可能な社会」の実践的提唱者としての評価も高い。著書『ミッチェル・メイ・モデル』『リアルワールド・リアルパーソン』。ユタ州モアブ在住。
1.ピュアシナジーへと続く道
食事と健康についてミッチェルが関心を持ち始めたのは、彼が10代の頃にさかのぼります。彼は当時、ひとりでヒッチハイクをしながら旅を続けていました。そしてテネシー州の、あるコミュニティーにたどり着きました。そこでは1,000人以上の人々が暮らし、安全で、環境持続性のある農業への変革を求めて、有機農法を実践していました。メンバーはみな、ビーガンと呼ばれる厳密なベジタリアンでした。
ちょうどその頃、国立衛生研究所(NIH)が菜食主義者を対象にした大規模な調査を希望していました。NIHは、ビタミンB12の欠乏と健康状態について研究していました。ベジタリアンは、動物性の食物に多く含まれるビタミンB12がどうしても欠乏しがちです。そこで彼らは、老若男女のベジタリアンが含まれるそのコミュニティーに興味を示し、ミッチェルが調査活動のサポートをすることになりました。ビタミンB12は、肉体と精神をつなぐ通路(神経)をアクティブにしてくれる重要な栄養素です。知性、感性、理性、人間の感覚すべて、そして生命力にも関与しているのがこのビタミンです。そのコミュニティーの中にも、さまざまな心身の問題を抱えている人が多くいました。
ミッチェルはそこで、微量な栄養素が人間の健康や思考に多大な影響を及ぼすことを知り、興味を持ちました。彼は、人々に適切な栄養摂取を促すことによって、世界の健康に良い影響を及ぼすことができるのではないか、と考え始めました。
2.ピュアシナジーの原型
その後、ミッチェルはUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の実験室において、あるプロダクト(現在のピュアシナジーの原型)の研究に参加するチャンスを得ました。研究者たちは、人々の健康に真に役立つ「本物」を常に求め、日々研究を続けていました。
「本物」とは、化学物質にさらされ、水も空気も汚染される以前、自然が有していた真実の状態のことです。それらを見つけ、その状態を保持できる製法を見つけなければならない。さらには、最適な配合を見つけなければならない、と彼らは思いました。
本当に必要な栄養素とはビタミン・ミネラルだけではありません。それらはとても微細な成分で、科学はまだ、その全貌を明らかにはできていません。
ミッチェルたちは、その微細な栄養素の多くが植物の色素の中にあることに気づきました。植物色素は太陽とその他の自然界のものが交流することによって誕生します。植物は栄養素の保管庫であると同時に、太陽からのエネルギーを取り入れる格納庫でもあるのです。そのエネルギーは体内に取り込まれると、自ずと働き始めます。
多くの専門家たちの知恵と経験を取り入れながら、ピュアシナジーの原型は完成に近づいていきました。
3.シナジーカンパニーの設立
その製品は当時「グリーン」と呼ばれ、試作後、調整を繰り返しつつ、約12年間、研究者や知人・友人などに無料で提供されていました。彼らからは、エネルギー、明晰さ、活力(バイタリティー)、健康感が増大したなど、数え切れないほどの素晴らしい反応がありました。
彼らはミッチェルにピュアシナジーをより多くの人に提供することを勧めました。始めは戸惑っていたミッチェルでしたが、良いビジネスをすることで、プラスのエネルギーを世界に広めていけるのではないか、ビジネスの影響力を正しい形で使うことによって、多くの人の役に立つことができるのではないかと考えました。
1992年、彼は正式にシナジーカンパニーを立ち上げました。その7年後には自社工場を建設。風力発電で操業する、環境循環型の工場として、米国内でも高い評価を受けています。
また、サプリメント製造工場としては最も早い時期に、米国オーガニック認証団体の認証も受けることができました。
多感な10代の頃に心に秘めた思いは、ピュアシナジーという形で結実しました。
アメリカ国内のみならず、ピュアシナジーは現在、世界約80ヶ国で愛用されています。